ちょっとここの所バタバタしておりまして、

少し間が空いてしまいました。

 

 

なのに、

ちょっと宣伝などをさせていただきます。

 

 

 

私の母めがまたまた本を執筆して出版したので・・

「三叉神経痛が治った日」

というまあ闘病記?

です。

 

 

 

 

以前にも、

「自宅介護で胃ろうをやめた日」

という本を執筆して2012年に幻冬舎さんから出版しているのですが、

 

 

 

 

これは私の父の病気との闘いと母のその介護の歴史を執筆したもので、

当時は絶対に不可能と言われていた「胃ろう」から父が脱却するまでの経験を執筆した本です。

 

詳しくは下記に記事にしていますのでご参考に。

 

 

 

これに続いて今回、

「三叉神経痛が治った日」

という本を母が執筆し幻冬舎さんから出版いたしました。

 

またまた病気からの復帰の経験話なのですが、

今度は母自身の話です。

 

 

 

三叉神経痛ってご存じですか?

簡単に言えばようするに頭痛です。

 

ただの頭痛?

そうですただの頭痛です。

 

ただ、

人間が感じる最も痛い痛みの中の一つ・・

なのだそうです。

 

 

三叉神経というのは頭の中の顔の感覚を脳に伝える末梢神経のひとつです。

皮膚の感覚などの神経が3本の枝にわかれて脳にはいる手前で1本にまとまり脳幹というところで中枢神経に入ります。

そして大脳に接続され、そこで痛い熱い気持ちよいなどの感覚として感じられるのだそうです。

 

人間の頭の中には脳に血液を送る動脈があります。

そして年を取ると誰しもが大なり小なり動脈硬化を起こします。

すると、

その際に動脈はクネクネと頭の中で時間と共に動き回り、

三叉神経に接触してしまう人が出てきます。

これが三叉神経痛の元なのだそうです。

 

動脈にドクドクと血が流れるたびにひどいと頭をぶん殴られるような痛みが走ります。

 

 

 

三叉神経痛はこうして痛みが走るだけの病気なので、

脳出血とか脳梗塞とか脳腫瘍などの脳疾患と違ってそれが原因で死ぬようなことはありません。

 

ただ、

それがこの世で最も痛い痛み・・

なので、

 

だんだんと激痛が走るようになり、

歯も磨けず、

食事もとれす、

顔も洗えず、

化粧も出来ず、

眠ることも出来ず、

しまいにはしゃべることも出来ず、

風に当たると激痛が走るので外に出ることも出来ない、

顔に関する生活行動は一切出来なくなってきます。

 

 

 

そして、

最後には四六時中痛みがはしり、

衰弱死したり、

自ら死を選んだり、

鬱になっておかしくなったり、

してしまう恐ろしい病気です。

 

悪く言えば、

最後には狂い死にします。

 

 

 

なんか、偉そうに書いていますが、

実は私は本当のところは知りません、

なったことがないので。

 

ただ、

毎日、目の前でおかしくなっていく母を見ていましたので、

本当にそう思います。

 

人に言わせると、

ひどいときは毎日が地獄・・

だそうです。

 

 

 

ただ、

痛いだけで、その病気で死ぬようなことはない。

 

このため人によっては、

ただの頭痛で何を言ってる・・

などと言われることも多々ある。

お医者さんですらそういうことを平気でいってくる人がいます。

 

 

 

三叉神経痛を治すのには手術をするしかありません。

 

他にも薬だったりガンマナイフだったりブロックだったり、

治療法はあるのですが、

これは緩和するものであって治すものではありません。

 

治らなければ年と共にどんどん悪化して薬も効かなくなってきます。

 
 

 

けれども、

その手術は頭の中の手術です。

開頭手術になります。

相当な危険をはらむ手術です。

年齢制限や体力制限があります。

 

高齢な人や体力を消耗している人には出来ないのです。

 

 

 

母は手術当時、

83歳でした。

どの病院でも手術を断られました。

 

 

 

そんな母が、

偶然にも出会うことが出来たお医者様に特別な手術で命を助けて頂いた・・

そんな経験を執筆した本です。

 

 

 

興味のある方、

三叉神経痛で悩んでいらっしゃる方、

母に言わせますと、

是非読んで参考にしてほしいと・・

 

大型書店や各ネット書店で販売しております。

 

 

下記でどうぞ。

 

 

 

 

 

最後に内容を少し記しておきます。

 

「三神経痛が治った日」

 

この私の「三叉神経痛との十五年間の戦い」は、私がアレルギー体質で特効薬「テグレトール」で発疹(アナフィラキシー)が出て使え無かったことから始まる。その上三十一年間脳梗塞で左半身麻痺の主人を介護していたという特異な条件下に置かれていたことから、病院の先生の「様子を見ましょう」の言葉に甘え十五年も三叉神経痛と仲良くしてしてしまった特異な体験談の手記である

 

 

頭痛が呼吸している。止めても5~10秒でまた痛みの呼吸が始まる。夜寝られない「何をしても眠れない。サロンパスを頭に貼ってみると一寸スーッと気持ちがいいだけ。
夜どんな姿勢を取っても、布団では一睡も出来ない。横になって寝ると横になっただけで痛みがズキンズキンとくる。
夜、長椅子にもたれて、足を伸ばして寝たら1回も起きず朝まで寝られた。でも起きたとき頭痛は残っていて、御飯を食べるのが難しい

 

 

「手術は、人によって異なる」が信条で患者の年齢、合併疾患、状態、病気の進行具合など、個別に考える必要があると、提唱されていられる。
私は、まさしく此に当てはまって救われたのであった。
ブロックはせず、三叉神経には傷を付けず、痩せもせず、鬱にもならず、体力作りも忘れず、血液検査も+-なし。最後には手術と決めてしてきた努力を、メールを見て、年齢ではなく個人差として、いち早く解って下さった。何と運が良かったことだろう。

 

 

一週間の入院で退院できた。A子さんは、病院で二十一日間も入院されたという。私は一週間で退院できた。先生のおっしゃったとおりであった。ありがたくて言葉に表せない。
その足で、息子の車でショートステイにいる主人を迎えに行った。

 

 

1つ 三叉神経痛の完治は手術しかない。
2つ 三叉神経を、傷つけないように、手術に耐える状態を保つこと。
3つ 手術に耐える体力を保つこと。(食事・運動など)
4つ 鬱にならないよう楽しみを持つこと。
5つ 時々再発するようなら手術は早いほうが良い。
   三叉神経痛とは最後まで仲良く出来ない。
6つ 良い病院を見つけること。

 

 

 

 

 

 

 

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